2021年7月1日

日本における左翼と右翼の現実

===左翼は幻想である

 日本では相変わらずパヨク!ネトウヨ!と互いに罵りあい敵対している。
この左翼・右翼という言葉の元々の意味は、右翼は政治的に守旧派で左翼は改革派だ。
フランスの議会が議長席から見て右側が守旧派で左側が改革派だったことから右翼・左翼と呼ばれた。
その改革派とは資本を国家が管理する社会主義思想の下で経済的な平等を目指す人たちのことだった。
私有財産は否定される。守旧(保守)派はそれに反対する人たちだ。だから私有財産を持っている人たちになる。

 キャッチコピーで言えば社会主義は「人々は能力に応じて働き働きに応じて分配を受ける」体制であると言われた。
共産主義はその社会主義の究極の姿で「能力に応じて働き必要に応じて分配を受ける」社会と言われた。
搾取のない社会主義は平等を求め、共産主義は完璧な平等を目指した。そのうえで自由を標榜した。
どうにもならぬ矛盾を抱えた夢である。

自由と平等は物質世界では成立不可能な相反する原理である。
民主主義的社会主義国家ができても自由も経済的平等も実現できなかった。左翼は思想的に破綻している。左翼は幻想である。

 

===左翼の亡霊にすがりついたメディアや文化人

 だから今パヨクとネトウヨと批判しているのは『馬鹿』と『間抜け』と侮蔑しあうそれ以上何の意味もない
意味がないからパヨクと馬鹿にしながらネトウヨを自慢する者もなくネトウヨと罵りながらパヨク自慢をする者もない。

なぜこんなことになっているのか?
簡単である。消滅するはずの左翼が消えないからである。残っているように見えるのは幻想(亡霊)である

 

戦後日本社会にパヨク(左翼)を生み落としたのはアメリカと外ならぬ日本のメディアである。

 アメリカは自らの戦争犯罪を糊塗するため日本に戦犯国の汚名を着せた。『東京裁判』という舞台を設け、かつての日本は自由のない未開国であったという歴史観を植え付けた。左翼に傾倒した連中を公職から追放したことを蛮行と決めつけ、それらの人材を大量に公職に復帰させた。
特にその影響が大きかったのは教育界で、そこで学んだ若者が政・官界、法曹界、経済界、メディア等に広く深く浸透し、日本社会は時代遅れの左翼が深く浸透した。
(後に朝鮮戦争が起き、アメリカは『東京裁判』で日本を左傾化させたことを悔やんだが核兵器投下した戦争犯罪の手前口をつぐんだままである。)

 ここにもう一つの要因が生まれた。メディア、主に新聞社である。
戦前にこぞって日米開戦を煽った新聞社は、GHQの検閲を受けたことで彼らにおもねり彼等もまたアメリカ同様に自分達の行った犯罪である戦争教唆を糊塗することが可能になることに気付いた。

 彼らは手のひらを返し「誰が戦争を引き起こしたのか」とまるで自分たちが被害者であるかのように振舞い始めた。
加害者は一義的に軍部であるがそれは必然的に天皇制に波及し結果的に日本人全員を罵倒することになった。
大義をかざし戦争を煽った彼らが、被害者として加害者日本(人)を糾弾し始めた。

 文化人も同じである。ノーベル賞作家大江健三郎は「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか」という問いを幾度となく繰り返している。
戦前日本(人)を未開な国家(人)とみなし「反省している自分はそうではない」ことを懸命に印象付ける。

 

 これらの左翼活動家は『日米安保反対闘争』を巻き起こし、学生活動家は本気で共産主義を目指し暴力革命を試みようとした。
だが赤軍に見られる学生たちの行動は、あまりにも稚拙で思考はついに狂気に満ちており、日本人の大半は共産主義に幻滅た。
その時点で日本における左翼活動は終止符を打った。絶滅したに等しい。


===リベラルの登場

 その他の国々でも共産中国・朝鮮戦争・キューバ危機・米ロ冷戦をへて純粋な社会(共産)主義国は衰退・消滅した。
それでも多くの国が民主主義を装う『民主社会主義』として体制を維持している国はおおい。社会(共産)主義は非人道反民主主義であることの裏返しだろう。
自由民主主義国家である日本でもいまだに共産党(員)が生き残っている。


なぜ死に絶えたはずの左翼が生き残っているのか?

一つは、民主主義を唱えながら、独裁体制の下で国民を檻の中で飼っている国家で、代表は中国である。
共産党(国家)が全ての資本を支配し、全ての国民(労働者)から搾取する、実態としては究極の資本主義である。
この場合は典型的似非民主主義として『左翼』という呼称を奉ろう。

もう一つの典型は日本である。冷戦も終わり社会主義国家が衰退し左翼は敗北した。
前述の如く、国民を欺く一部の国家以外では左翼という名称は消滅するはずである。
だが日本では消滅するはずの左翼の名称が残り、共産党は破防法の対象となりながらも国会で議席を有している。

なぜか?名前はそのままに全く別物として生き残っている。無思想左翼の中身は命大事のリベラルだ。

 

 

===あさましきメディア

 東京裁判で戦前日本は悪の国家と決めつけられ、それまで虐げられた左翼共産主義者は一夜にして

「かつての日本人でないところの(新しい)日本人」として認められた。

 戦争を煽りに煽ったメディアは、それを見て彼らもまた一夜にして左翼に転向した。
しかし悲しいかなメディア(主に新聞)の場合は彼らの書いた記事が歴然と残っている。
そこで卑劣なメディアは何をやったか?
 彼等が書いた戦争礼賛記事から写真を切り取り、捏造したキャプションを貼り付け、日本軍がアジア各地で行った悪行をあからさまにする記事に仕立て直した。一言で言えば歴史捏造に血道を上げたのだ。


そうやって彼らは、戦前・戦中の日本の悪行を批判する役割を得て、まんまと
「かってのメディアでないところの(新しい)メディア」に納まった。

一夜にしてなった左翼の隆盛はその後徐々に衰退し左翼は絶滅するのだが、この時生まれた日本のメディは、元々戦争を煽った連中であり純粋な左翼になるべくも無かったのだ。

 

===メディアの逃げ道・リベラル

 では左翼になびき歴史捏造を始めたメディアの本質とは何だったのか?
『かつての日本人でないところの日本人』とは何か?

本来メディアは情報を伝えるもので自分の意見を主張をはするではない。
その上、戦争を煽り膨大な国民の命を奪った日本のメディアは公平な情報提供者の立場さえ持てなくなった。
ところがアメリカが行った日本の追放左翼公職復帰に合わせ、その左翼に紛れ込んで歴史を捏造を織り交ぜ、いつの間にか

「かってのメディアでないところの(新しい)メディア」となりおおせた。
『赤旗』の如き政治プロパガンダではない大衆メディアが選んだのは、
戦勝国におもねった『自由・平等』の旗を掲げるリベラリストの道だ。
あまつさえ彼らは『日本の良識』を標榜するという離れ業を演じつづけた。

 

 現在のメディアは個人の人権『自由と平等』を前面に押し立てるだけの定見も思考力もないリベラルである。
思考力があれば自分たちの行動に赤面し、メディアの看板を下ろさざるを得ないはずだ。
個人的な『自由と平等』が相いれないことにもすぐ気づくはずだ。それさえも気づかぬ彼らには左翼も右翼もない。

リベラルが左翼に見えるのは錯覚である。左翼が大衆を味方にするために『自由と平等』というリベラルを装うことから生じた勘違いである。繰り返すがリベラルには定見も思考力もなく、左翼が打ち出した人権主張に引っ張られているだけなのだ。そういう意味ならリベラルは表面的左翼と言ってもいい。

日本のリベラル政党がいつも共産党の顔色をうかがう理由はそういうわけだ。

 

===リベラルに潜む狂気

 日本の左翼が消滅しないのはリベラル・メディアがきちんと批判しない、いや出来ないからだ。自分たちの政策は左翼からの借り物だから、批判すれば自分の首を絞めることになるのだ。またリベラルのテーマが大衆受けすると見れば左翼(共産党)がリベラルに引っ張られることもある。

しかし何より日本の左翼・リベラルの主張の際立つ異常さは、狂気のアナーキストにしか見られない国家否定である。
日本を破壊し日本国民を根無し草に追いやろうとする憎悪に満ちていることである。

この憎悪はいったいどこから来るのか?


リベラルとは『自由主義者』である。ここでいう自由とは全ての選択権を有するという意味で今はやりの多様性であり、そこで平等という概念と繋がってくる。リベラルとは『個人』の自由・平等・人権を侵す全てに対する主張なのだ。LGBT、BLMもそうであり命を脅かす環境問題もリベラルの範疇で扱われる。

平等を主張する人達は人種・性差別被害者として暴徒化し、環境破壊を問題にする人達は環境悪化の被害者として捕鯨船を攻撃する。


 日本に対する憎悪もまた自ら『被害者』とする人達が、傷つけられた(と思い込む)人権の代償として日本を攻撃するものだ。
アジアを解放したはずの日本を『日本はアジアを植民地として侵略した』と歴史を捏造して加害者に仕立て上げた者達がいる。

中国と朝鮮人である。そして日本のメディアである。
捏造の典型は中国の『南京大虐殺』と朝鮮の『従軍慰安婦強制・強制徴用工』である。
それを日本国内と世界に広めたのは外ならぬリベラリストとしての日本メディアと日本政治家・文化人である。

そしてこの流れは、現在に至っても憲法改正反対、死刑廃止、外国人参政権付与、夫婦別姓等々、右も左も関係なく自由と平等と多様性を錦の御旗にして被害者を演じる者たちが駆けずり回っている。

 

===死ぬのは人間の特権だ

いい加減にして欲しいものである。
日本における左翼なんざとっくの昔に絶滅危惧種で、かろうじて死に切れない年寄りの一部が認知症を患っているようなものだ。
左翼と思われているのは、自分の命の為なら他人の命などへとも思わないリベラルである。

死刑廃止を唱え「人を殺したがるバカ者達」と云った生臭尼僧がいたが、死刑はダメなどという坊主がいればそりゃ偽坊主だ。
いつか必ず死ぬ人間を捕まえて『命』を金科玉条に据えるリベラルの偽善にヘドが出る。


私は右翼である。日本国を愛し天皇陛下を敬っている。
日本の発展と日本人の幸せを祈っている。
『いのち』の『い』もしらぬ左翼もリベラルも気の毒なものだと思っている。


我々の肉体に生死はない。
生成消滅があるだけだ。
魂は生死不二だ。
死は人間にのみ与えられた特権だ。
だから死を恐れる必要はないのだ。
リベラルの罠に堕ちてはならない。

 

 

 

 

 


コメント(1)

  1. 最も右端の爺さんより 

    もう日本は先進国でなくて良いので、世界で唯一の「反共法」のある韓国を見習って欲しい。
    そして韓国では最近廃止になった姦通罪を日本で復活させて欲しい。

コメントする

投稿前の注意

  • 他の人に不快感を与える投稿や誹謗中傷するようなコメントはおやめください。
  • コメントを投稿する前によく読みなおして投稿しましょう。
  • コメント欄に入力できる文字数は500文字までとなります。