2017年11月14日

国家批判は自由だが国家否定は犯罪である

『来賓として出席した小中学校の入学式や卒業式の国歌斉唱でこれまで起立してこなかった京都府井手町の谷田操議員(59)が13日、校長から起立を求められるなどしたことで人権や表現の自由などを侵害されたとして、京都弁護士会に人権救済の申し立てを行った。』というニュース。

以前から学校教師でも同じような主張を繰り返し物議をかもしている問題だがハッキリさせようではないか。

教師や議員など国家の中の組織で給料をもらっている人間はよく考えなければならない。
もしあなた達が自分の思想信条を最優先し公的機関の行事でも反対・抗議行動をするなら、その職を辞すべきです。

人権侵害?笑わすんじゃないよ!
こちらにも人権があるんだ。こちらは日本国民として国家を愛し義務を果たしている。
税金で喰わせてもらう立場にありながら、反日思想を振りかざすのは、日本国を愛し税金を払っているわたし達の主張(つまり人権)を否定する無礼なふるまいで実に不愉快極まりない行為である!


あなたが自分の主張と反する行為を強いられることを人権を盾に拒否するなら、
わたし達は自分の主張と反する行為を『わたし達の税で雇われる人間』にされることを、わたし達の人権を盾に拒否する。わたし達の人権を侵害するな!

人権など持ち出せばいかようにもいちゃもんをつけることができる。

まあ日弁連などと言う『反日組織』に日本の司法を牛耳られ、日教組などと言う化石のような連中が生き残っている教育界、反日メディアにマスコミを乗っ取られている変な国・日本で、国家・日本を否定する人間は犯罪者であると言っても理解してもらえそうにない。

これは憲法の問題である。
思想・信条・表現の自由は大事だろう。制度・体制を批判し変革を求めるのも自由だ。

だが国家としては『国家を否定する』行為や存在を認めることはできない。自己矛盾だ。
だからこれを憲法に明記しなければならない。

人の心の中まで縛ることはできない。だから思想・信条の自由は保障する。
だが思想信条をもって行動することは全て自由とはならないのだ。
だから表現の自由を謳っても、現実の描写には制限がかかることがある。

今回の国歌斉唱についていえば、反対するのは構わない。
だが国歌斉唱を拒否(否定)することは違法行為である。
これを明確にする為にも憲法は改正するべきである。

とまあこういうことです。


コメント(3)

  1. 婆さんより 

    君が代の歌詞を憶えていない人や音痴の人は起立をしてお口をパクパクして下さいね~。

  2. 保守少年より 

    自由は大事だと思いますが、言論の自由と称して、日本を否定したり侮辱するのはおかしいです。そんなに日本や日本人や皇室が嫌いなら、その人たちが日本から出て行けばいいのです。
    国に敬意を払うのは国民として、人間として当然です。自分たちは国民(人間)としての義務やマナーを果たさないくせに、人権を保証しろと言うのは理解できません。
    あと、余談ですが、文に書いてある教師のように、左翼や売国奴がアホなことを言い続けたせいで自由や人権と言う言葉が嫌いになりました(自由や人権が大事なことはちゃんとわかってますが、それを利用して、左翼発言をする奴らが大嫌いです)。

  3. reporterより 

    >>02
    教師と弁護士を再教育する制度を法制化するべきですね。そこで徹底的に『反・反日教育』をやる。
    愛国教育ではないところがミソです。試験に落第したら免許返上!

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