2019年5月31日

虫唾が走る・反吐が出る

 両手に刃物を持ち小学生の集団を襲い、小学生16人を含む18人が刺され、大人の男性1人と小学9年生の女児1人が死亡した事件で、妙な議論がまかり通っている。

 

 自殺した犯人に対し「死にたければ一人で死ねよ」というまあ普通の人なら間違いなく感じる憤りの投稿に対し、『生活困窮者支援のNPOほっとプラス』代表理事の藤田孝典氏が、

「川崎殺傷事件に対し『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」

 という記事を配信した。その理由は、「これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。次の凶行を生まないためでもある。」としている。つまり、「このような非難は同じように社会から疎外されている人にとって同様な犯行を起こす引き金になる」と主張しているのだ。
この藤田氏は「自分も無差別殺人を起こそうと思ったことがある」という。だからそのような行動をとる人の心理がよくわかると言いたいのだろうが、

この主張は真実なのか? 
そのような根拠データがあるのか?

 

 そして、藤田氏はこう続ける。
「犯人と同じ想いを持つ人物は、これらの言葉を聞いて「やはり社会は何もしてくれない。自分を責め続けるだろう、という想いを募らせる(かもしれない)。」「(犯人の)その主張がいかに理不尽で一方的な理由であれ、そう思ってしまう人々の一部が凶行に及ぶことを阻止しなければならない。」「そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う」というのである。

ふ~ん、判りにくい文章だが「犯罪は犯罪者を理解しない社会のせい」という訳か。

おそらくこの方は『日本の平和憲法支持者』だろう。「日本が戦争しないと言えばどの国も責めてこない」と信じる人だろう。
おそらくこの方は『死刑制度廃止論者』だろう。「誰にも人を殺す権利はない。だから死刑反対である」と言える人だろう。
最初の『引き金論』と共に、全てが根拠のない理想論で、質の悪い独善である。

 

藤田氏は「自分も無差別殺人を起こそうと思ったことがある」というのだがにわかには信じがたい。恐ろしいことだが、もし本当なら藤田氏は「社会の優しさに触れて思いとどまることができた」のだろう。ならばその心理の変遷を事実を踏まえて公表するべきだ。(調べたがネット上やHPにはそのような記述はなかった)

藤田氏は救われたのだから、「この異常な事件の加害者に、社会の優しさとやらをどうやれば伝えられるのか」藤田氏は皆に伝えなければならない。でなければこんな発言はしないはずだ。

 

『平和憲法』を支持し自衛隊を否定しながら、自分たちの企画したクルーズ船が公海上で襲われそうになると、恥ずかしげもなく自衛隊の警護を受けた政治家がいる。
「自分は死刑廃止論者」と言いながら、「アメリカのブッシュ大統領だけは八つ裂きにしたい」と叫んだコメンテーターがいた。
「人を殺す権利は誰にもない」といい死刑賛成論者に「人を殺したがるバカ者ども」と毒づいた似非宗教家にききたい。ではなぜ殺人が起きるのか。人を殺す権利は誰にもない?ならば殺人者は「人を殺す権利をもっていた」ことになるのだが?
何もかも「権利で片が付くと思っているバカ者」で世の中溢れかえっている。

 

 藤田氏が持論を述べるのは自由だ。彼の言う『社会の優しさ』がどういうものか、どうやって伝えるのかは解らないが、手立てを持っているなら、それを訴える活動を続ければいい。
だが今回の、無差別に・それも小学生を殺傷して自殺した犯人に、万人が発した『死ぬなら一人で死ね』という言葉の意味を、藤田氏は理解できず独善的に犯人側に立ってのみ受けとめているのではないか?本当にそれで弱者の側に立っているつもりなのか?

 誰一人として、ただ『死ねばいい』と言ってるわけではない。幼い命・何の罪もない社会人が無残に殺されたことに対する『憤り』であり、そのあと身勝手に死んでいった犯人に対する共通の怒りという、抑えきれない人間の叫び声なのだよ。

 

 一部弁護士達は常に犯人側の人権を主張する。憲法擁護者が核武装し威嚇する近隣国を擁護する。市民活動家は差別もないのにLGBTの権利を叫ぶ。そして、それらのきれいごとにテレビで賛意を示し、新聞というメディアを通じて反対者を批判する人達。

 そのような人達を私は似非リベラリストと呼ぶ。彼らの主張は自分たちを弱者・被害者の味方と思い自分自身もそちら側の人間と主張するが、その実体は卑しいエゴに突き動かされ、ただ自分たちの社会的優位を示そうとしているだけだ。
これらの人たちは、共産党を筆頭に状況が変わればたちまちその主張を翻す人たちだ。

ご都合主義で被害者側に立ちたがる、人を責めるのが大好きな人達よ。
正直に言うが、わたしはあなた達を『反吐を吐きそうな思い』で見・聞きしている。

 

加害者より蹂躙された被害者の人権を守れ。
戦争は勝てる信じた側が仕掛ける主導権を持つ。
LGBTを権利の問題にするのは間違いである。

LGBTで言えばそれは趣味・嗜好の問題なのだ。犯罪でない趣味・嗜好で何をしようが勝手。だが、異常な趣味・嗜好を嫌悪する人がいるのも当たり前。それもまた人権で、LGBTでない人はそれを見ない権利がある。だから権利では片のつかない問題なのだ。

それを知っているオカマたちは「自分達を変態と呼び、自ら卑下して見せ、次に自分たちの生態を面白おかしく語り笑い飛ばす」ことで、その「悲しみとあきらめにも似た潔さと強さ」で、そうではない人たちから不思議な共感と敬意を獲得することに成功している。

そんなオカマたちは、偽善者たちから「LGBTの権利を守れ」などと云われて面くらっているに違いないのだ。

 

ソロソロ気が付いてくれないか。
わたし達は『角突き合わせて白黒つけるしかない権利の問題』にしない賢明さを持たなければならない。

『権利の問題にしない』ということは、言い換えれば「全て自分に責任がある」ということを理解することだ。

 

声を大にして言いたい
死にたいのなら、子供を巻き添えにすることなく一人で死ね。

もしあなたに手助けがいるなら、できるだけの手助けをしよう。
だがそれさえも、あなたから申し出なければうまくいかないのだ。

あなた自身が求めたもの以外、何一つとしてあなたには残らないからだ。
ならば、この世の中に「人のせい」にすべきものは何一つないのだ。

あなたが苦しんでいるのなら、それはあなたのせいなのだ。
全ては自分に責任がある。だから自分を救うのも自分にしかできない。

 

『自分の苦(被害者意識)を他人に転嫁する』、
これが犯罪の原因であることがなぜわからない!

 

その犯罪者に、
「君は被害者だ悪くない。わるいのは社会だ」
と言ってあげることが解決につながるとは思はない。
「君は間違っている、被害者意識を手放しなさい」
というしかない、と私は思っている。

 

 

 

 


コメント(2)

  1. LENNONより 

    追い込まれないと一人で死ねない弱い奴を道連れにする卑怯者だよ。大人が見守ると言って警備をするなんて言ってるらしいが武器の携帯も許されない一般人に何が出来るのか?アメリカなら国民に武装する権利があるが日本で棍棒なんかでも持って集まれば凶器準備集合罪なんて事にもなり得る。最も効果的なのは武装警官をバスに乗せ通学路の交差点毎に配置する事だ。そして刃物を持つ人間は問答無用で射殺すれば良い。綺麗事じゃ誰の命も護れん。アメリカじゃビッグデータの分析である程度危険人物の把握は進んでる様だ。もはやプライバシーか安全かの何方を選ぶかの時代が来ている。

  2. LENNONより 

    岩崎某は親から人としての大事な事は何かって事を教わらなかったんだろうね。子供をマトモな人間に育てるのは親の責任だ。決して学校だの社会では無い。社会の責任だと言う奴は頭がオカシイし人間という物を理解してない。こいつは自分が死にたい為に他人を道連れにする積りだったらしい?こう言う考え方が有るとしたら死にたい奴を死なせてやる制度が必要だ。それでも他人を道連れにする様なら晒し首にでもするしか無い。親も含めて。昔の日本ならこんな奴は切り捨てれば良かったんだが。最大の脅威はこう言う人間のクズがそこいらに何の制約も無く生きている事だ。日本を敵視してる内なる敵と同様に。

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