日本の検察の『闇?』『病み?』
今月4日、東京地検特捜部はカルロスゴーン氏を特別背任容疑で再逮捕した。ゴーン氏が11日に開くと発表した『会見』の矢先の出来事である。
しばらく鳴りを潜めていた特捜部が、従前と同じ容疑で再逮捕という異例というより異常な措置だろう。
この再逮捕の異常さは、被疑者であるカルロスゴーン氏側が準備している裁判資料をも差し押さえるという、いわば被疑者が自らの無罪を立証しようという行為を許さないという『人権』否定にある。
地検特捜部の今回の逮捕の狙いは、弁護側の資料や方針を知るための逮捕で、人質司法の上を行く暴挙で、もはや通常の精神状態ではないように見える。地検はそこまでしなければ勝てないとみているということだ。つまり確たる証拠がないのだろう。
『司法取引』という法的に杜撰極まりない手法を日本に取り入れるにあたって、おそらく反対する意見が多数あっただろう。それらを押し切って取り入れた検察TOPが、『司法取引』を利用して安全な立場から上司を追い落とそうとした日産幹部の話に乗って、その成果を示そうと遮二無二突っ走ったのが今回の事件だろう。
まともな弁護士なら今回の事件を即座に「冤罪被害」と断定するに違いないが、日弁連にはまともな弁護士はいないということだろう。
それにしても、ここまでの経過を見ると、東京地検特捜部というところは、これまでも無実の容疑者を自白に追い込むために同じようなことをしてきのだろう。そうでなければ、こんな強引な捜査方針に内部全員が一致するわけがない。いや仮に居たとしても『一部の意見』にまっとうな判断が立ち向かえない、司法制度にあるまじき組織ということがよく分かる。
日産という会社内のガバナンスの問題で法人の役員会で決めるべきものを、首を切られそうになった役員の自己保身と地検特捜部の一部の人間の自己顕示欲によって、大山鳴動の一大事にしてしまった。
それで世界有数の日本メーカーが崩壊するかもしれない?
こんなバカな話が有っていいのだろうか?
一部には、日産を支配しようとしたフランス政府に対する「日本政府の意向を受けた事件」という見方があるがそれはあり得ない。それこそ「一民間企業の問題に政府が圧力をかけて司法を動かす」ようでは『司法の独立』は覆される。
日産が日本にとって重要なのであれば日本政府が直接フランス政府と交渉する話である。
それにしても、大宅壮一が指摘した『一億白痴化運動』が60年を経て、とうとう日本社会の隅々までいきわたったに違いない今回の事件は、何がどのように落ち着こうが、日本の司法制度の中の『検察』が、二度と立ち上がれぬほどの批判を受けることになるだろう。
犯罪による罪とは疑われる様な事をするから疑われ取り調べられ証拠隠滅等の怖れが有れば拘束される。多少の差はあれ何処の国でも同様だ。それが嫌なら疑われる様な事をしなければ良い。全ての犯罪に共通する。ゴーンの件は自分の立場を悪用した事が疑われてるんだが多分何処の企業でも多かれ少なかれやってる事だろう?特に多国籍で稼いでる規模のデカイ場合は。常に内部抗争や外国からの乗っ取りも含めて警戒しなきゃ。人間てのは善意だけでは無い。善意の裏に悪意が隠されてる事も常識だ。国内では犯罪に甘い風潮がある。この件はどちらに転ぶか予測は難しいが世の中を舐めるとバチが当たるって事を知るには良い事だ。
疑われ調べられることはよく起きるですが、その段階で良し悪しは無関係。調べて有罪が証明されれば罪に問われる。それ以前は無罪という推定無罪が近代法の大前提です。
韓国の裁判所では腹立ちまぎれに無実の相手を訴える『誣告罪』が横行していますが、さすが北朝鮮工作員・辻元は『モリ・カケ』でしきりに「疑われる方が悪いんちゃうん!」と総理を責めていました。それならきっちり告訴すればいいのにやりません。
日本では誣告罪で罪になるからです。ところが一種の誣告罪である日本の『司法取引』に罰則はありません。誣告罪にも問われません。
「疑わしきは無罪」を徹底しなければ今回のような問題が起きます。慰安婦も徴用工も証明もせず国際世論をおあり日本を貶める韓国は、国際的誣告罪で問わなければなりません。
推定無罪は建前としては正しい。だけど容疑者の取り扱いとしては正しい。いや、甘いと思う。容疑者が本当の事を言う筈もないし弁護士も捜査の邪魔をする。ましてや裁判官にも変なのが混ざってる。刑法は法その物が犯罪の抑止にならなきゃ意味が無い。社会を正常に維持するには厳しい法と厳しい執行が必要。多分だが推定無罪って言葉も無責任な学者が言い出した事だと思う。そしてマスコミだの自称知識人が綺麗事で注目を集める事に利用する。検察も大変なんだよ。特に多国籍な犯罪は。また、日本には日本の国に合った司法が有れば良いし他国の真似をする必要も無い。