2018年10月17日

1893年 朝鮮雑記によれば

 韓国の博物館が、何を血迷ったか日本国立美術館に文化財の貸し出し依頼。当然断られる。
それについて、韓国側のコメントが、
「東京博物館がレンタルを拒否し、祖国への外出は失敗に終わった。レンタル後、安全に返してもらえる根拠を示してほしいという日本側の要求を満たせなかったためだ。」

何このコメントは?
返すのが当たり前なのに根拠を示せなかった。つまり「返す」とは言えない・約束できないんだ!

 

対馬から仏像を盗んだ韓国人が捕まったのに、肝心の仏像を「韓国から盗んだもの」と言い張って裁判でも「返還しない」という判決を出す国に文化財など貸せるものか。

「日本の文化は全て韓国由来」と茶道・折り紙・華道・空手・ソメイヨシノ・お米・その他もろもろの「日本の文化や日本から伝播したもの」に対し、『元は韓国発祥の文化』という主張を繰り返している。根拠もなくどうしてそんなに夢中になれるの?

 

 あの1897年に『朝鮮紀行』を著わしたイザベル・バードより早く1893年に、李氏朝鮮にわたって紀行文『朝鮮雑記』を書いた日本人青年がいる。名前を本間久介といい、当時の愛国青年のような人物だったらしい。かといってこの本で朝鮮を蔑視しているわけではない。列強に対峙するアジア人としての共感を持ちながら、ただ淡々と朝鮮の実態を伝えている『紀行文』である。

 現在豊かになった朝鮮人が読めば「かなり耳が痛くなる』内容も多い。多いではなく悉くと云って良いかもしれない。その中に朝鮮半島の『仏教』の様子も書いている。それはわたし達が想像するような『仏教』ではなかったようだ。

「坊主いわゆる仏教僧なるものは、寺も荒れ果て、ボロをまとい、何処でも乞食同様で、一般の朝鮮人からも下に観られている。」このように書いているのだ。どの程度の寺を回ったのかは知らないが、彼の口調では全ての寺と坊主が同様である」とこういうのだ。そんな朝鮮半島の寺にその当時から金目のものなどありはしないだろ。盗むほどの仏像があるはずもない。

 

 2012年長崎県の対馬の神社仏閣から盗まれた仏像2体の内1体がいまだに返却されていない。韓国人の犯人は捕まっているのだから返せばいいようなものだが、ここでいつもの『由来・発祥主張』が始まる。「この対馬の仏像は日本が朝鮮(浮石寺)から盗んだものである」というのだ。

ならそれを証明しなければならないが一向に証明しない。できるはずもないのだ。そんな状況で判決を下す韓国の司法は『世界文化遺産』に指定しよう。

 

 先ほど言ったように、朝鮮半島では仏教は尊敬されておらず寺も坊主も荒れ放題だった。お宝なんぞひっくり返してもでて来ない。調べりゃすぐわかるから証明もできない。それが判っていながら玩具の仏像を持ってきて「これをやるから我慢しろ」といったあの韓国のくそ坊主には開いた口が塞がらない。こんなことばかりしているから日本人は朝鮮半島人を蛇蝎の如く嫌い始めた。

 

 日本人・本間久介の書いた『朝鮮雑記』がいやならイザベラバードの『朝鮮紀行』でもいい。だが彼女に書かせると、さすがアングロサクソン、当時の朝鮮の様子を辛らつ且つ汚いものを見るかのような侮蔑に満ちた目で眺めている。日本に対しては好意的だから朝鮮人にとってはつらい読み物だろう。

 しかし敵もサルもの、朝鮮半島人はそのイザベラバードの『朝鮮紀行』の版権を買い取り、「不都合な部分を改ざんした別ものをアメリカの出版社から発行している」というのだから恐れ入る。
(最近のまとめ記事を見ると、改ざんされた『朝鮮紀行』が出回っている気がします)

歴史改ざんに執念を燃やす半島にどうか憐れみを・・・。

 


コメント(2)

  1. 国難よわ張りされる老婆より 

    歴史改ざん出来るなら「無条件降伏」改ざんして欲しい!

  2. 恋多き老婆より 

    私の青春を返してぇ~!

コメントする

投稿前の注意

  • 他の人に不快感を与える投稿や誹謗中傷するようなコメントはおやめください。
  • コメントを投稿する前によく読みなおして投稿しましょう。
  • コメント欄に入力できる文字数は500文字までとなります。