愛はあるんか!
歌舞伎町にたむろし買春客を待つ女性が増え・繁殖し、いまや日本は世界の中で有数な売春大国になってしまった。
薄汚いC国から、自国で相手にされない男性感染者が日本に来て、歌舞伎町発信の感染症をばら撒いて意気揚々と帰っていく。
この様を見ているはずのメディア・政治家・有識者は、相も変わらずL・G・B・T・Qを唱え
「性的少数者の自由と平等を守らなければならない」と一昔前の共産主義者のと似たような世迷言をほざいている。
ネットにより世界中で日本文化がもてはやされ、押し寄せて来る観光客のインバウンドで糊口をしのいでいる日本だが、
このままではあっという間に評価は落ち、日本(人)は世界の慰み者、
そして背徳の不道徳国家として白い目で見られる日はすぐそこに来ている。
この事態を憂いに口を挟むべき立場にあるのは、政治家・メディア・教育界(者)・宗教家・哲学者・法律家といったところだろうか?
しかし誰一人まとものこの事態を打破しようと発言する人間はみあたらない。なぜだろう?
答えは判り切っているに、誰もがそれを見て見ぬふりをしているには理由がある。
「お間にそれを言う資格があるのか!」
そう言われると胸を張って「ある」と言えないから!
人間も生物である以上、自分のコピーを残したいという欲求(種族保存システム)を持つことは自然である。
それが性欲である。自然なものではあるが欲望でありエゴと暴力に満ちた忌むべきものでもある。
だが人間(いや天でも神でもいい)は、至上のもののひとつである「愛」を模して「恋」と呼び、
愛する者同士の美しい行為と半分偽ってきた。そレが唯一の救いであったのだ。
人はみな欲望である恋を『愛』に昇華させるために、詩を書き歌を口ずさみ、
自らを愛する相手にふさわしい人間となるよう高める努力をしてきた。
そして、それを教えるのが宗教であり教育であったがゆえに人々は畏怖してきた。
かろうじて欲望と神話が手を取り合って、愛を夢見ることで人間の尊厳をギリギリのところでバランスを保ってきた。
現在日本ではもうそのバランスは崩れている。
なぜそれがこのような事態になっているのか。その原因はインターネットとにある。
世界中で人間の昼の姿も夜の闇の中の姿もことごとくさらしてしまった。
聖職者も教育者も、そしてあらゆる人々が建前をはぎ取られ醜い姿を自らさらしてしまった。
この世界でこれから何が起きるか?
一昔前の共産主義革命で起きたことがまた起きる。
唯物史観によって人間は物質とされ、神はアヘンとなり精神的なものは『まやかし』となり自由と平等が犠牲になった。
自由と平等を求めて起きた共産主義革命で生まれた社会で、権力者は唯一理解できる『自分の自由と平等』を守るため、
彼に反対する者達の自由と平等をいとも容易く踏みにじることになんの躊躇もなかった。
スターリン、毛沢東、ポルポトたちの大量虐殺は共産主義体制の必然の結果であった。
現在のネット社会は人間の闇の部分を取り上げて、それを金もうけの手段にする卑しい世界である。
左翼共産主義の残滓・リベラリスト達は、相変わらず「自由と平等」を唱え、本当に必要かどうかわからぬ『多様性』を持だし、
L・G・B・T・Qという放埓を『自由と平等』を守る砦にした。
そのおかげで性的放埓が蔓延し、『愛』の力でかろうじてバランスを保っていた性欲と性道徳が、自由と平等の名の下で崩壊した。
うら若い女性がホストに狂い、貢金欲しさに身体を売る。かつてなら誰もが不道徳とした行為をとがめれば、
それが「自由と平等を損なう行為」として、誰もとがめられない不思議極まりない社会となった。
歌舞伎町「立ちんぼ」の問題を「質の悪いホストの存在にある」といた政治家まで現れた。
「若年女子の貧困のせい」という者も現れた。どちらもその原因の一部ではあるが、
本質的問題は、ホストに狂い春をひさぐ彼女たちの姿の中に、
ネットにあふれる情報をもとに、性欲に振り回され、道を誤りかねない自分の姿を見るからである。
かつて『デリヘル』なる未成年売春という犯罪を誘発するに決まっている売春システムが認められた時、
ソープをお目こぼししている司法・検査が、
今度は顔を見られては困る警察官のため許可したのだろうと推測してしまった。
今現在ネットにあふれている売春目当ての情報や違法図画も規制しない限りこの傾向は加速するばかりだ。
それを規制しないのもまた、司法や検察関係者の『身の下』事情なのかなと考えてしまう。
世界最古のビジネスは益々のご繁栄との事、心よりお祝い申し上げます。
売り手が有って買い手が有るのが、ビジネスの基本ですからねぇ!