2019年5月11日

半島に関わり日本は戦争になった!

 「韓国・北朝鮮に関わるな!」といっても拉致被害者を抱えている日本にとっては実に頭の痛いところ。何とか安倍総理には頑張っていただきたい。

 

 ここで云わんとする「韓国・北朝鮮に関わるな!」は、「関わると日本が災厄に巻き込まれる」という意味である。

近代日本は大きな戦争を繰り返してきた。これほどの大規模の戦争を繰り返したのは後はドイツぐらいだろう。しかし日本とドイツはその動機が全く違っているように見える。
私見だがヨーロッパの戦争は、産業革命で膨れ上がった生産力のはけ口が軍備に向かい、それ以前の歴史的摩擦に火が付いた、ある種の宗教戦争ではないか?

 それに引き換え日本の戦争は、あくまでも欧米列強の植民地化を逃れ、自国の独立を維持するための戦争のように見える。もちろんその日本にも、個々の野望や欲望に突き動かされた人々はいただろう。何もきれいごとだけを主張するつもりはない。
 だが日本の戦争は、そこで戦った国民を振り返ってみると悲しいほど愚直であったのは間違いない。

 

 日清戦争も日露戦争も日本の戦争目的はロシアの南下政策への対抗である。日本はロシアに対抗するために中国と朝鮮と手を組もうとしたが彼らはロシアの脅威より日本の軍事大国化を恐れた。(いやここの場合恐れたというより「嫌悪した」という方があっている。今も昔も変わらない)


 日清戦争では朝鮮半島が東学党の乱で、宗主国の清に支援を求めたが、それ以前に朝鮮と天津条約を結んでいた日本も条約にのっとって朝鮮へ派兵した。すると日清双方による部隊派遣を危惧した朝鮮政府は急いで東学党と和睦し、6月11日までに農民反乱を終結させ、日清両軍の速やかな撤兵を求めた。
(和睦できるなら最初からやればいいのだ。朝鮮の姑息な対応は今も昔も変わらない)

 事細かなやり取りは省くが、1894年7月23日、朝鮮王宮を事実上占拠して高宗(王)から朝鮮独立の意志確認と清国兵追放の依頼を受け、8月1日清国に宣戦布告した。多少強引だったかもしれないが筋は通している。
翌年清国に勝利した日本は講和条約(下関条約)で、清国に朝鮮の独立を認めさせている。筋は通している。

 まさか日本が大国・清に勝利するとは夢にも思わなかった列強は驚愕した。
この戦争で日本が得た清国の遼東半島を、『露仏独の三国干渉』によって返還させられた日本は、国民全員が『臥薪嘗胆』を合言葉にした。後の日露戦争の遠因でもあろう。

この日清戦争で戦争の原因となったのは、日本が朝鮮を対ロ防衛線とした戦略にもあるが、清との争いは朝鮮の事大主義・二枚舌・優柔不断の結果が招いたものだ。

 

 日露戦争でも同じである。
 1900年、ロシアは清で発生した『義和団の乱』に乗じて満州に侵攻し、全土を占領下に置く。日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束したが守らずに駐留軍の増強を図った。このロシアの行為に危機感を覚えた英国が初めての同盟関係を日本と結ぶ。

 独立を得た大韓帝国は、満洲を勢力下においたロシアの南下政策に協力した。高宗は鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤をロシアに売却し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感を持つ日本がこれらを買い戻した。

 当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に相手にしなかった。1904年(明治37年)2月23日、大韓帝国は開戦前に「局外中立宣言」をする。こんなことをされては日本軍は半島で行動できなくなる。日本は大韓帝国の内政化を始め、大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制では独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと日本に協力した。
 一方、高宗や両班(貴族)などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。戦争中に密使が日本軍艦により海上にて発見され、大韓帝国は条約違反を犯すという失敗に終わる。
(相も変わらず朝鮮のやることは対局を観ない目先の利益だけである)

 1903年8月からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案を提案したがロシアは興味を示さなかった。常識的に考えれば、ロシアが日本に敗れることは考えられなかったのである。
 逆にロシアは日本側へ「朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずる」という提案を行った。
 この案では朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断し、またシベリア鉄道が全線開通するとロシア軍の極東方面への派遣が容易となるので、日本はその前の対露開戦へと国論が傾いた。
 そして1904年2月6日、日本はロシアに国交断絶を言い渡し、2月8日の旅順攻撃で日露戦争は幕を開けた。

とても勝ち目のなかった日露戦争を、講和までもっていけたのは英国の助けと海軍の執念だったが、そもそも朝鮮がロシアに色目を使わなければ起きていなかった戦争だと思う。但しロシアの革命騒ぎと相まって、満州を奪われなかったのは日・中・朝三国にとって僥倖であった。

 

 太平洋戦争は、アメリカがヨーロッパの戦争(WWⅡ)に参加するために、どうしても日本に米国に戦争を仕掛けさせる必要があって、日本に無茶苦茶な要求を突きつけた結果である。
 この戦争の間中、海外の中国人と朝鮮人は、連合国側に向けた日本を誹謗中傷するプロパガンダを繰り広げた。それが功を奏して日本への過剰な攻撃と人権を無視した戦後政策となり、その間に日本は朝鮮人に蹂躙された。日本人として戦ったはずの朝鮮人は被植民地国家として戦勝国を主張したが、さすがに連合国もそれは認めなかったが、その後も陰に日向に歴史捏造で日本を貶めるプロパガンダを続けている。

 

 今ムンジェイン政権が際限なく反日行動を繰り広げておきながら、「日本国が歴史認識を政治利用している」などと言いつのり、次々と捏造歴史を世界に向かって発信している。
 この状態はもはや『戦争状態』と言ってもおかしくない。どうやらムンジェインの狙いは太平洋戦争の時のアメリカを模倣しているのではないか?日本に先に紛争を仕掛けさせるというものだ。

 ムンジェインの読みは、そうなれば「さすがの北朝鮮も対日共闘に参加するはずだ」というものに違いない。彼は北朝鮮の手で日本を核攻撃させるつもりだ。彼は明らかに狂人である。

 

 このように、日本は朝鮮半島国家に関わることで、戦争に追い込まれたといっていい。もし半島国家が大局的に判断して日本と協力していれば日清戦争・日露戦争は起きなかっただろう。そうすれば大東亜戦争も起きていない。半島の南北分断も中国の共産化も防げたかもしれない。

だがそれは、日本人の甘い考えだろう。同じことを繰り返してはならない。

 それらは過ぎたことだ。この100年間に貴重な教訓は得た。日本が取るべき道は、彼らの迷いを断ち切る強力な軍備をもって、半島国家との相互不干渉を国是とすることである。


コメント(2)

  1. tontonより 

    そうだったのか!日清、日露戦争は詳しく調べもしてなかったがやっぱりチョンが災いの火付け役だったのか・・なっとく!

  2. reporterより 

    ///_日帝強制占領期、台湾で日王の妻の父を刺殺しようと短剣を飛ばした趙明河義士を賛える銅像が11日、彼が殉国した台湾現地に建った。
    チョ・ミョンハ義士研究会はこの日午前、台湾台北市韓国学校の校庭でチョ・ミョンハ義士銅像除幕式を開いた。この席には海外同胞らとタイペイ駐在韓国代表部関係者などが参加した。_///
    ね、このように韓国人は、ねちねちと反日暴挙を積み重ね、日本人が彼らに何かするのを待って、何かすれば世界中に捏造した嘘を告げ口しまわるのです。
    だから、日本政府は日本国民を忖度して「何も言わずに制裁すればいい」のです。国民も静かに自分でできる制裁をすればいいのです。決して口にしてはなりません。
    まず、気色の悪い出来損ないの能面顔芸能人を締め出しましょう。

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