ベトナム往来
友人の息子がベトナムで働いているので、彼ともう一人の友人3人で3泊4日の強行軍でベトナム・ハノイに行ってきました。
成田を19時前につ予定が強風の影響で1時間以上遅れて、ベトナムのホテルに着いたのは結局現地時間で深夜0時過ぎ。予定より2時間遅れで、にも拘らず明朝6時に起きてハロン湾観光に行くので老人には大層な旅行になってしまった。
朝食をとる時間もなくホテルを出て乗り合いバスの停留所までタクシーで。
「南国ベトナムだから温かいだろう」と半そでの「Tシャツ1枚で飛び出したら寒い!現地のベトナム人の中にはダウンを着込んでる人間までいるじゃないか!
まあ我慢できないほどの寒さではないので、現地のベトナム人にとって「思いもよらぬ寒波」という状況らしい。めったにない寒さでダウンを取り出したと言うことだろう。
乗り合いバスはちょっと洒落た8人乗りのバン。途中の休憩所で朝食代わりにフォーを食す。初めて食べたのだが、日本人は麺類なら大抵のものは美味しく喰ってしまう。美味しかった。
ハロン湾につくとよく映像で見るように、海面に屹立した小島が無数に浮かんでいる風景そのまま。だが惜しむらくは天気が悪い。明るい太陽の元であったらもっと感動したことだろう。
50人ほどの乗客を載せた観光船でハロン湾を一巡りするコース。途中でカヤックに載るイベントがあったがこれは風にあおられ濡れるに決まっていると固辞した。
船に残ったのは私ともう一人西洋人の老女。船長がわたしのところにやって来て「何処から来た?」ときくので「日本」と答えると、「乗客がカヤックに載っている間に俺たちは飯を食うから一緒に食おう」という。ご相伴にあずかっていると何やら良く判らない肉を煮込んだ料理がでてきて口に入れても何の肉やらわからない。聞くと『ドッグ』というので「げ!あちゃー犬かいな」と思って我慢して食っていたのだが、どうやらこれはわたしの聞き間違いで『ダッグ』だったらしい。
そんなこんなでホテルに戻ったのは20時近く。疲れ果てているので晩御飯はホテルの隣のレストランにする。まったく予備知識もなく訪れた店だが家族ずれなどの現地人で満員に近いしいい匂いがする。「こりゃ当たりかな?」と期待したが、我々4人用にテーブルをセットしなおした部屋に連れていかれ「ルームチャージがいくらいくら』とか言っている。メニューを持ってきても高そうなものばかり勧める。普通のビールを頼んでもしつこくあるグラスビールを勧める。
案内役の息子が「こんなことを言う店は初めて」と怒っているので心配したのだが、出てきた料理は意外にもおいしかった。現地人が集まる店だからそこは間違いなかったのだ。
ただしこの店は『ヤギ料理専門店』で、沖縄に行っても敬遠していたヤギ料理に舌鼓を打つことになった。理由は良く判らないが妙に旨い。飯(米)も旨い。口に合うとしか言いようがない。
翌日はハノイ市内観光。ガイドを雇っていたのだが日本でなら一目でその筋とみなされるチンピラ風。この国の交通事情は日本人の眼にはカオス(混沌)である。車とバイクが我先にとクラクションを鳴らしながら紙一重で相手の隙間を抜けていく。我々が「アブナイ!」と叫んでも何事もなかったかのように走り続ける。面白いのが誰一人相手を罵ったり大声で怒鳴ったりしない。これがこの国の民族の特徴かもしれない。基本的に精神的に激昂することがなく穏やかな人種のようである。
あのチンピラ風ガイドも、ほとんど笑顔を見せないが誰とでも気さくに話していて意外と人気者らしい。お茶を飲むときは我々の物と比較して倍もする飲み物を頼んでわたし達に払わせ、昼飯も一緒に入ってかってにフォーを頼んで食べ我々のビールを飲んで満足そうにしている。友人の息子曰く「ベトナムの人は日本人のように遠慮をしない」のだそうである。余計な気配りを必要としないなら、日本人とはうまくつきあえそうな人種と認定することにした。。
興味のある観光地は少ないがとにかく人が多い。それも日本と違って圧倒的に若者が多い。大きな池の周りぐるりが公園になっている場所が、カップルやわけもなくたむろしている若者グループで埋め尽くされている。一昔前日本にいた『竹の子族』風の奇抜なファッションの集団が台車付きのでかいスピーカーを引きながら大音量で現地の音楽を鳴らしながら練り歩いてる。この国は若いのだ。
有名な『人形劇』があるというので連れて行ってもらった。普通舞台があるはずのところがプールになっている。プールの中から人形が飛び出してきて水面上で人形劇が展開される。これはかなり珍しい趣向だろう。愛想のない兄ちゃんガイドは、ここでも実力を発揮して最前列を確保してくれたので実によく見えた。プールの向こうはすだれになっていてその奥で人形を操っている。
もう今夜の深夜便で帰国の途につくので、しばらく買い物をして荷物を預けていたホテルに戻り、空港に向かう。この雑踏も見納めと思うと寂しい。この国の平均年齢はまだ30歳にもならないらしい。若者が多いはずだ。同じ飛行機に乗るベトナムの若者に「どこに行くの?」と聞いたら「足尾市」という答え。若い、まだ10代に違いない。日本で働くのだろう。
日本を離れベトナムに活路を求めた友人の息子。
先進国日本に夢を見ているベトナムの若者。
若者達の前途に豊かな人生が待っていることを願う。
日本に帰り成田から羽田へのリムジンバスから見る風景の中にベトナムの喧噪はない。スムーズに流れる都会の車列さえ、あの喧騒の国から帰国した者にはのどかに見える。我々は普段気にも留めないが、すでに『老人国』に住んでいることを思い知らされた。
だが、一定の時さえ過ぎれば日本も再び若返りの時期を迎えるだろう。
その時には歴史を経験としてもっと良い日本を築けるだろう。
今を夢見ることのできる若者たちがいる限りは。