2018年2月11日

マキアヴェッリ

マキアヴェッリと言えば「目的のために手段を選ばず!」といった権謀術数にたけた人物と思っていたら大違いであった。
中世イタリアのフィレンツェに働く、平民出の中級官吏で、優秀ではあったが給与も低く出世の見込みもないのに、謹厳実直に大いに働いた。
にもかかわらず政変により43歳で職を追われ、その上10年分の給与に相当する罰金を課せられ、と踏んだり蹴ったりの人生を送ったが、そのおかげかもしれないのだが「君主論』をものして今に名声を残している。

塩野七生女史の『わが友マキアヴェッリ』で知った受け売りであるが、この塩野七生女史がもし日本の政治家にでもなっていれば、日本の男に「やっぱり女に政治は向いてないね」なんて減らず口を叩かせることはなかっただろう。

そのマキアヴェッリの言葉に
『わたしは改めて繰り返す。都市(国家)は、軍事力なしには存続不可能なことを。それどころか最期を迎えざるを得ないことを。――(中略)――どこの国が今までに、防衛を他国にまかせたままで、自国の安全が保たれると思ったであろうか。』

そして塩野女史が作中で、「マキアヴェッリだったかグイッチャルディーニだったか忘れたが」というのだから多分マキアヴェッリではないのだろう。

『現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じで、だから馬鹿なことをしないと思い込んだ時である』と言わせている。
ただこの文の『現実主義者』は褒めすぎだ。「愚か者」の方が意味が分かりやすい。


まるで現在の日本を見ているようではないか、とさえ思ってしまう。
戦争放棄の護憲派や米軍基地反対とか国防軍不要論者に聞かせたらどう思うだろう。
テレビで政権批判だけして金を稼いでいる脳天気な評論家たちに聞かせてやりたいものだ。

 

日本の歴史を卑下するわけではないが、彼女のおかげで「ヨーロッパの昔日の国々がいかにして世界を席巻できたのか」その理由がわかってきた。ルネッサンス芸術の美がどこから来たのか理解した。

ローマ帝国の残像がおぼろげに見えてきたのだ。
塩野七生が地中海にひかれたのはローマに魅せられたのだ。

 

「ああ、もし米国が人種差別という病を抱えていなかったら現代の『ローマ帝国』になれただろうか?」
こう思うことはあるのだが
「中国が民主化したらローマ帝国になれるだろうか?」
とは決して思わない。その答えは決まっているからだ。

中華の地に、『地中海の風と陽光の明るさ』のかけらも感じないからだ。


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