2018年1月27日

中・韓の蒙昧、人にあらず!

 大江健三郎が自著『沖縄ノート』の記述により、元日本軍守備隊の家族から名誉棄損で訴えられた裁判で無罪をえて「勝った勝った」と出版社の岩波ともども記者会見ではしゃいでいたのが痛々しく「これがノーベル文学賞受賞者か」と思うと同郷ながら目をそむけてしまった。

 例にもれず左翼がかった裁判官だったのだろ、「当時大江氏がそのように信じたとしても仕方がない『真実相当性』があった」というのが無罪の理由であるらしい。

つまり「大江氏の記述内容は事実ではない(間違っている)。だが当時はそのように信じるに足る理由があったから無罪」としたのである。
この判決で出版社と大江健三郎氏は会見を開いて「勝利」と喜んだのである。実にとんでもない判決である。もう何年前だったか。「あなたの記述は間違いです」と云われて喜ぶ彼の知性の壊死に同情した。
どうやら自分の過ちにようやく気が付いたのか、最近はとんと表舞台に手に出なくなったのがせめてもの矜持か。
だが日本軍人の名誉は損なわれたままで家族の苦しみは消えない。

これを不思議に思わない人がいるかもしれない。では次のような場合はどうだろう。

 「多くの韓国人女性を拉致して強制的に慰安婦にした」とノンフィクションの自伝として出版した人物がいて、それを真に受けたかそそのかしたか知らないが、ある大手新聞社は大々的キャンペーンを張って日本国民を騙し、韓国の反日勢力と手を組んで、日本政府に謝罪と賠償を幾度も繰り返し未だにやめようとしない。日本国の戦争犯罪として、世界中に虚偽の事実を書いた碑文と銅像が大量に設置され続けている。
 だがすでに本を書いた当人は「フィクションであり私の小説である」と認め、大新聞社もその本が事実ではなかったことだけは認めたが、『日本の戦争犯罪』という誤報については一切訂正も謝罪もせず、未だに韓国・中国と歩調を合わせ日本に謝罪や賠償を迫っている。

 これについて日本の司法(裁判官)は訴えを受け付けないのだが、
もしこの本の作者とそれを広めた新聞社を訴えることが出来てたとして、その判決が「その当時彼らがそのように信じるに足る理由、つまり『真実相当性』があったので無罪」といわれてわたし達は納得できるだろうか?

 ちょっと極端だが簡単な例を挙げる。
「わたしを殺そうとしていた証拠がある。だから私が先に殺した(のだから正当防衛だ)。」
そう主張され調べてみるとそう思ったかもしれない理由は確かにあった。
この場合裁判で『真実相当性』を主張して無罪となるのだろうか?

裁判官たるもの法治の根幹をよく理解しなければならない。
最近の法律家はお隣の中・韓の悪しき習慣である儒教の人治・情治判断に染まりつつある。

犯罪は犯罪、『真実相当性』はその犯罪の量刑を決定する際に情状酌量の余地について参考にする傍証でしかない。傍証を前に出して判決を出すのはあまりにも愚昧。


いつも本道を外れ理不尽な主張をする『中華文化の蒙昧』そのままである。

 韓国・北朝鮮がいつまでも「慰安婦問題は日本の戦争犯罪」という歴史捏造に固執するのも愚かな『中華文化の蒙昧』のせいである。
韓国は「事後に作った法律で過去の行動を犯罪認定する」という世界に類のない奇妙奇天烈な『事後法』で人を裁くという非常識を国民全体で支持してきた狂気の国である。
その上、それを『我々の叡智』と誇るのだから何をかいわんやである。

 日本で「対話と交流を通じて韓国と友好関係を築く」などという、政治家の発言や大新聞社の記事を読むたびに暗澹たる思いがする。
言葉も違う、道徳も違う、習慣も違っても同じ人間なら何とかなる。だが、

人間とかけ離れた人たちとは付き合えないだろう?

 

 


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