2017年10月8日

リベラル?そんなもの犬に食わせよう!

面白いもので、やっと政治家たちが『リベラル』と言われることを嫌がり始めた。

元々左がかった人たちの大事なイデオロギー『社会主義思想』が、ソビエト崩壊とともに破たんした時、彼らの政治主張は、人の命や生活や社会保障といった『人権を守る』という『弱者救済・平等な権利』に軸足が移った。そして本来『自由と寛容』という意味のそれを自分たちの呼称として『リベラル』と呼んだのが始まりだ。

つまり『リベラル』として『人権』というものすごく解りやすい方針を掲げたのだ。
だが、こんなもの近代社会では当たり前の社会規範で特別な主義主張にはならない。小学生の掲げる標語・社会人としての常識みたいなもので、大の大人が、それも国政を預かる政治家が掲げるようなものではない。

一言で云えば、『命は大事』みたいな言葉をことさらに政治的主張とする人は『中身のない空っぽな人』に決まっているのだ。お題目のように「命が大事」と主張さえしていれば、何も間違ったことにはならないのだから楽なものである。
だがその言葉に酔える人は、真に必要な問題に背を向ける『毒にも薬にもならない』役立たずである。

『リベラル』と呼ばれている人達の『命が大事』というその命は必然的に『自分の命』となる。だから『リベラル』な市民運動家たちは、自分の主張に反する人たちに平気で罵詈雑言を投げかけ暴力をふるうエゴイストなのだ。

わたしは彼らを『人権派ご都合主義者』と呼ぶ。
いくらきれいごとを口にしてもその本音は「私の命と金(だけ)を大事にせよ」である。
それが『日本のリベラル』の正体である。

 


コメント(1)

  1. ペット命の婆さんより 

    『リベラル』は犬も食わん。『リベラル』は犬の糞にもならん。

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