2018年9月23日

大声でいう必要はないでしょう?

 LGBT差別する人を許さないと人権擁護の大旗を振りかざす人たちの『言葉狩り』が展開されていますが、あれ本当にLGBTの人たちを差別から守ろうとしているのでしょうかね。私にはとてもそう思えないのですが・・・。

 LGBTであることは基本的人権と同じ普遍的な権利ですか?
死刑に反対する人たちが『人を殺す権利はない』と偉そうに浅はかなことを言っていましたが、死刑制度は権利の問題ではないのです。そのセリフは殺人を犯した者に言ってください。

 「LGBTへの差別を許さない」と当たり前のことを言って人を責めることで自分が偉くなったような気がしているんじゃないですか?「生産性がない」といった言葉を差別だという方々には是非LGBTの方々に「差別と思うかどうか」と聞いてみてほしいものです。

 少子高齢化が社会問題になっている状況で、「LGBTカップルが子供を産むことがない」というのを「生産性がない」という指摘はごく当然の指摘でしょう。「生産性がない」という言葉はLGBTの人達の権利を否定するものではありません。存在を許さないなどとする権利侵害ではないのです。
LGBTの方々は、もしこう言われたら、出来れば外国人でもかまわないから里親にでもなって人口減少問題の一助となってほしいものです。

 

 おそらくLGBTの人達もその点では引け目を感じているのではないでしょうか。病気や障害を持っている人たちは多かれ少なかれ「生産性がない」ことを気にしているはずです。ですから不当な差別は絶対に許されない。

 だが、必要以上に人権を振りかざしてLGBT、障害者、病弱者の権利を声高に叫ぶことが、反対に「彼らの誇りを傷つけている」とは思わないのでしょうか?
もし私なら「この人は弱者だから守ってあげよう」と大勢の前で言われたら、きっとその人の無神経さに辟易「もう結構です」といいそうだ。

大声でこれ見よがしに権利を擁護するより、静かにそして寛容に見守ることが大事なのではないか?


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