2017年3月29日

高校生の事故に思う 残された『今』を幸せに

栃木県で起きた、雪崩による教諭一人高校生七人の死亡事故。スキー場で行われた高校登山部の合同訓練の最中に起きたらしいが、雪がひどいので登山を中止して、スキー場でのラッセル(雪かき)訓練ならということで実施中の悲劇。

指導した先生方の責任を問う論調が出てき始めたようだがやめてほしい。
油断がなかったかと言えば、油断があったのは確か。ラッセル訓練をわざわざ急斜面でやる必要もないでしょう。
かといって何が起きるかわからない雪山を想定した訓練に「絶対安全な場所での訓練」などというのも無意味でしょう。

油断はあったと思います。雪山ではなくスキー場のゲレンデなら、万が一の時にも対応できるという気のゆるみはあったと思います。
大惨事を引き起こした八甲田山の雪中訓練も、日常的に目にしている基地に近い裏山的な安心感が原因でした。
今回もスキー場という心理的安心感があったのだと思います。

それを承知で云わせてもらいますが、今回の事故で指導教諭たちの責任を問うのは行き過ぎです。
すでに彼らは想像以上の責任感と罪悪感に苛まれているでしょう。
故意でもない事故に、これ以上彼らに何を求めるというのでしょうか?


偉そうなことを言うようですが、
家族の方々は悲しくとも、教師を責めても何の慰めにもなりません。許してください。
それ以外に自分を救う道はありません。亡くなった高校生の為にも許すべきなのです。


不思議に聞こえるかもしれませんが『過去』は『今』の力で変わるのです。
家族は亡くなった子供の思い出が大切であればあるほど、『今』を幸せに生きて欲しいと思います。


コメント(3)

  1. 寂しい老婆より 

    これがどこかの国だったら「アイゴー・アイゴー」と泣き叫ぶのでしょうねぇ。
    この場所ならスキー場をの営業を閉めてから、過去にも大小の雪崩はあったと思われますが...。
    誰一人危険だと思わなかったところに惨事が起こってしまうのですねぇ。
    それにしても将来のあった高校生可哀そう!

  2. 悲しい老婆より 

    この季節、この地方には雪崩注意報は必ず出ていたはずですが、残念でなりません。

  3. reporterより 

    「栃木県警が太田高校を業務上過失致死で家宅捜査」というニュース。
    もっとほかのやり方はないのでしょうか?
    高校生たちをどうしても『可哀相な犠牲者』にして、誰かを加害者に仕立て上げ糾弾しなければ気が済まないのでしょうか?

    命を奪われた可哀相な若者たちは、『犠牲者』と呼ばれるだけの人生しか生きてこなかったと決めつけられて喜んでいると思うのでしょうか?

    私にはどうしても亡くなった方々をおとしめる行為にしか思えません。
    粛々と原因を追究し、深々と頭を垂れ若者たちの短くも楽しかったであろう人生を敬いましょう

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